Quantcast
Channel: 温泉マニアの巡浴紀行
Viewing all 522 articles
Browse latest View live

旧道歩き閑話 旧街道歩きの難行苦行のはなし

$
0
0

旧道歩き閑話 旧街道歩きの難行苦行のはなし
殿様の駕籠 親不知超え 旧道歩き閑話.jpg
親不知子不知

旧街道歩きには、箱根の急坂が続く「箱根七里」など多くの峠道や大川渡しなどの難所がつきもの。悪天候ともなれば、なおさらである。難所でも、変わった難所と難所をどう克服して通り抜けかを紹介したい。

松尾芭蕉が「奥の細道」を歩いていたころ、越後の柿崎から春日新田に至る地域は、桶で塩水を汲み上げる「揚げ浜法」で、浜に棒をさすとそのまま沈んでしまう場所で、駕籠かきたちは、40㎝もある板に鼻緒をすげたものを履いて、べたべた歩き、休む時は杖が沈まないようにその板の上に杖を解いていたという。こうした湿地地帯が越後の日本海側に多かった。今でこそ、防砂林や防風林が作られ、道路が整備されているが、当時は難渋を極めたはずだ。
北陸道最難関は親不知子不知で、波打ち際から断崖まで15~16m、場所により100mもあった。風の弱い引き潮時は静かな砂浜を歩くことができたが、最も厳しい500mの箇所をどのように通過するのか?加賀藩参勤交代では、越中新川郡の「波除け人足」500~700人が麻縄を持ち、ふんどし一丁で7列の波除け人足として人垣を造って海辺の道を駕籠に乗った藩主を守り、馬の荷を下ろし、人間が荷を担いで馬は空荷で通していた。雪道の道中も厳しい。文政元年(1818年)2月、除雪が追いつかぬほどの深雪で、馬足が立たず難行したところ、筵(むしろ)をかき集めて道に敷き、馬を無事に通すと、今度はその先々へ筵を送り継ぐという方法をとって、雪見の道中を乗り切った。

加賀藩領になる越後・越中の山々の水を集めた神通川に架けられた船橋の方法もあった。64艘の船が雌雄二筋の大鎖でつなぎ留められて出来ていた。雌鎖は瓢箪型で雄鎖は楕円形の環でできていた。大鎖を巻く大杭は欅材で直径4尺、地上へ1丈5尺でできていた。船橋を架けるに際し、4・5日以前より架けさせ、急な出水のため徒渡りが不可能になり、或いは出水の度に川の瀬が常に変わったり、藩主が通る当日に押し流されることもしばしば起こったという。
夏 風鈴と朝顔.jpg

長年の大名行列の経験から、いろいろな工夫がされたが、湿地地帯や、断崖絶壁、峠道の通行に関したことだけでもこのような難行苦行を避けられなかった。

参考:鈴木一夫著「参勤交代道中記」
晶文社 金森敦子著「芭蕉はどんな旅をしたのか」

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


カンボジア映画「シアター・プノンペン」を観る! 2016.7.26

$
0
0

カンボジア映画「シアター・プノンペン」を観る! 2016.7.26
DSC00235.JPG

カンボジア映画界初の女性監督ソト・クォーリーカーが描くヒューマンドラマ「シアター・プノンペン」を神保町の岩波ホールへ見に行った。カンボジアといえば観光的には「アンコールワット」だが、共産主義の名をかたり、専制政治を行ったクメール・ルージュ(ポルポト政権・1975年~1997年)が300万人もの虐殺をした歴史が生々しい。

物語は、女子大生ソポンが廃墟のような映画館で見た古い恋愛映画から始まる。主演女優はクメール・ルージュ時代に生きたソポンの母親だった。映画館主は40年間もソポンの母親を慕い続けていた。映画の最終シーンが失われていることを知り、ソポンが母親の代役で映画を完成させようとする。背景には、クメール・ルージュ時代を必死に生きた母親や軍人の父親らの葛藤をも描くことに・・・。
監督の操縦士だった実父も殺戮の被害者だった。「知識人」が狙われ、メガネをかけているだけで「知識人」と見なされた監督の世代の「多くのカンボジア人の家族の歴史であり、物語」であった。「若い世代は、クメール・ルージュ時代の資料を知ろうと思えば、調べられるのに関心が薄れている」と懸念を発信する。
DSC00233.JPG

振り返って、日本でも事情は同じだと私は思う。「立憲主義」が安倍政権の一内閣で否定され、日本国憲法が安倍自民党によって明治憲法の封建時代の憲法に引き戻されようとしているとき、若者は受験一辺倒で日本の近代史を学べずに無関心にさせられている。参議院選挙でも選挙後に若者へのインタビューに答えて「立憲主義ってなに?3分の2条項ってなんですか?」という反応には我らの世代には仰天である。
DSC00234.JPG

兎に角、こうした時代の転換期を描いた映画を多くの世代の人々が鑑賞されることを願うばかりである。25年前に世界遺産のアンコールワットを見にカンボジアのすでに近代都市プノンペンでカジノも備わる高級ホテルに泊まり、地方都市シェムリアップから緑豊かなアンコールワットへ出かけたことを思い出す。映画館はかつて国立劇場として使われた実際の映画館だ。かつて「アジアのパリ」として栄華を誇ったプノンペン市街、静寂の中の蓮池などもオールロケですべてが本物だ。岩波ホール入り口壁に貼られた6月、7月の朝日、毎日、日経新聞に掲載された映画評を見ることもお勧めしたい。

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

ひとり出版社「岩田書院」の再々々訪問とBOOHS TAMAプロジェクトのはなし

$
0
0

ひとり出版社「岩田書院」の再々々訪問とBOOHS TAMAプロジェクトのはなし
DSC00236.JPG
DSC00237.JPG
DSC00238.JPG
ひとり出版社「岩田書院」の紹介記事

第何弾目かの「老後の生き方」として「書籍出版を学ぶ」目的で、私の新婚旅行ツアーで同道した岩田博氏を39年ぶりにお訪ねした。「岩田書院」を2回目の訪問時にお借りした書籍4冊をお返しするため7月9日、南烏山のひとり出版社「岩田書院」詣でをした。
出版業界は書籍の売り上げ不振で経営が厳しくなる一方で、個性的な「ひとり出版社」や「小さな出版社」が今注目されているという。「岩田書院」にかかわることで、「地域に根差した」「地方の歴史や文化を次世代に伝える」「地方の魅力を伝える」「地域おこしに貢献する」「新しい才能を発掘する」などなど・・・必ずしも経営状態は、順風満帆とは言えないが全国で活躍している。ひとり出版「岩田書院」の紹介記事は、株式会社ウエッジ発行、月刊誌「ひととき」2014年4月号、吉永みち子・文の「32.この熱き人々」に詳しい。また、三栄書房発行の男の隠れ家シリーズ「一度は読んでほしい 小さな出版社のおもしろい本」でも地方の個性的な出版社125社と注目の400冊が紹介され、「岩田書院」も取り上げられている。3度目の訪問で、「岩田書院」事務所の宝の書籍の山から選び出し、またまた図々しく新に5冊の書籍をお借りした。
○日本大学芸術学部図書館発行「日本のマンガ家 つげ芳春」
○つくばね舎発行、光田憲雄著「江戸の大道芸人」
○文春文庫、山田和著「インドミニチュール幻想」
○角川学芸出版、竹内誠監修「外国人が見た近世日本 日本人再発見」
○株式会社ウエッジ発行、月刊誌「ひととき」2014年4月号
DSC00240.JPG

さて、最初の訪問で岩田博氏に「出版社を学ぶ」ために居候させてほしいとの望みが絶たれた後、たまたま地元の「BOOKS TAMA千ヶ瀬店」で書籍を購入した時にいただいたチラシに「書店発!著者発掘プロジェクト」で「出版の夢を眠らせるな!あなたの出版企画を採用します!筆者随時募集 あなたも著者になれる。」開催期間:2016年6月25日~7月25日とある。主催者は、BOOKS TAMAと著者養成学校の潮凪道場とflierの共催だ。
期限まであと4日しかない。私はこれだ!と思った。
DSC00241.JPG
DSC00242.JPG
DSC00245.JPG

エントリーしてまず、著者養成プロジェクト養成機関の入塾審査を通らなければならない。という訳で、ダメもとでとりあえず内容の異なる2編の応募を終えた。
合格者は養成学校に有料で通い、さらに出版企画書提案のための審査がある。塾内審査合格後に出版社に提案。出版採用が内定すると出筆、制作、出版、出版契約及び出版。BOOKS
TAMAで先行発売され、印税の支払いが発生。・・・という手順だ。これこそが当初私が「岩田書院」に張り付いて学ぼうとしていたことだった。
 エントリーしてとりあえず、結果を待つこと・・・・。とりあえずの「第何弾目かの老後の生き方」体験の夢はスタートできるのか?乞うご期待。失礼、誰も期待していないか?

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


北国街道を歩く! 2016年8月6日(土)からの挑戦! 追分宿から小諸宿へ。

$
0
0

北国街道を歩く! 2016年8月6日(土)からの挑戦! 追分宿から小諸宿へ。

5月にクラブツーリズムのテーマのあるツアー添乗員を辞めたことから、歩くことが少なくなり、腰に痛みを感じてきた。毎日か定期的にか歩かなければと、ついに目標を「北国街道歩き」を決断する。軽井沢・追分宿から上越・高田宿までの約150㎞を何回かに分けて歩き繋ぐ予定だ。

青春きっぷを利用して、JR青梅線東青梅駅発6時37分、拝島、高崎へ、吾妻線に乗り換え横川着10時05分。JRバスで10時15分発軽井沢へ、10時49分着。しなの鉄道で11時08分発、追分宿には11時半頃到着。この時期夏休みとはいえ、列車は空いていて座ることができた。家族づれが目立ち、母子が頬を抱いてキスをする微笑ましい場面も・・・。私といえば、妻との棘のある(と思っている)会話に嫌気がさしての逃避行・・・・。で、拙句「妻厭(いと)ふ夏鈍行のひとり旅」「夏峠左右連なる峰淡し」

北国街道追分宿は、駅から1㎞ほど離れている。国道18号線沿い両脇に、日本橋から39番目の追分一里塚。標高980m、いよいよここからがスタート。宿は中藤旅館 小諸市赤坂1-3-2電話0267-22-0365 予約時に「ちょうど、どかんしょ祭りがある!」といわれ、どかんしょって何ですか?と聞くと「浅間山が噴火した時のどかんしょ、からとったお祭りよ。踊りとかがあるから、あなたも踊ったら?素泊まりで、4,000円でお願いした。

11時47分、追分節発祥の碑、芭蕉の句碑「吹き飛ばす石も浅間の野分哉」(1793年建立)がある浅間神社。堀辰雄文学記念館や脇本陣、旧本陣跡、高札場を通過して、13時15分に分去れ。追分原は、平安後期、天仁の噴火で、追分火砕流に平均8m覆われたという。江戸後期の天明の噴火の時は、北野群馬県側が被害甚大だった。
拙句「追分や浅間おろしの風涼し」気温は27度、わずかに風あり。ハイキングシューズの左足小指に痛みがある。しばらく下りの国道沿い歩き、御代田工業団地標識から左旧道へ「三ツ谷」信号、標高780mの馬瀬口へ。小諸まで7㎞。十念寺跡への道を間違え、八王子から来た小磯氏と会う。十念寺跡には一遍上人初開道場碑が立ち、土蔵に菩薩のお面と意匠を保存していると聞いたが分からなかった。柏木小右衛門生誕の地、甲州道道標、唐松一里塚をえて小諸へ。
16時05分、こもろ高浜虚子記念公園の看板にひかれて与良館(江戸時代の漆器屋、その後家具問屋を営んだ旧松屋)で休憩。「休んでいきなさい」の声に甘えて、茄子の漬物や胡瓜をいただく。奥の部屋に高浜虚子の影響か?地元の俳人達の作短冊が変わられる。虚子は、昭和19年から3年1ヶ月疎開し、句作に励んだという。日本画家伊東深水も小諸に疎開したと聞き、探したが不明。延宝2年(1674年創業)山吹味噌の酢久商店、関ケ原合戦に向かう秀忠が真田昌幸に阻まれて、住職が仲介になった海応院、粂屋脇本陣、本陣問屋へ。小磯氏とはここで別れる。小諸城址の懐古園・三の門を見てから、今日の宿、赤坂町の中藤旅館へ。素泊まりだが、丼ブリに枝豆、トマト、キュウリの漬物をいただいた。すぐそばにあるスーパーTSURUYAへ買出しに行く。16時からお祭りで踊りがあったが、疲れていかなかった。今日の歩きは、軽井沢の追分宿から小諸宿まで13.7㎞。歩数は自宅からここまでで30,340歩。

※写真が無いとお思いでしょうが、実は川田宿まで行き、帰宅して写真をパソコンに取り込み時に一部メモリーカードから削除をしてしまった。復元処理を依頼しているところなので、この号はしばらく写真が添付できませんでした。

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

北国街道を歩く 2日目 小諸宿から田中、海野宿、上田宿へ。

$
0
0
北国街道を歩く 2日目 小諸宿から田中、海野宿、上田宿へ。
DSC00346.JPG
海野宿

 8月07日(日)、小諸の宿を6時35分に出た。昨日歩いた本陣跡まで合流し、今日のスタート。しばらく下り、寛政年間の小仏を過ぎると諏訪神社をカーブして正面に布引観音道標。
DSC00317.JPG
小諸本陣跡
DSC00318.JPG
DSC00322.JPG
布引観音道標

西原の土屋邸庭にあるという美人画の伊東深水の疎開地碑を探したが不明。拙句「鉄路伸ぶ断崖見ゆ青田かな」
7時54分、大石沢川に架かる眼鏡橋を過ぎる。左奥丘陵中腹に百引観音が見える。8時08分、牧家(ぼくや)一里塚、先の十字路で雷電の碑。
DSC00327.JPG
DSC00328.JPG
眼鏡橋
DSC00329.JPG
牧家一里塚
DSC00331.JPG
雷電碑
DSC00333.JPG
百日紅が目立つ

 この辺りから赤い花を咲かせた百日紅多し。拙句「標(しるべ)ごと百日紅の多かりし」加沢地区に旧家屋多し。地元の男性に三階建ての家屋を900万円で誰か買わないかと声をかけられる。9時、成田山六地蔵、田中宿和脇本陣跡へ。
DSC00334.JPG
成田山六地蔵
DSC00337.JPG
田中宿和脇本陣跡

さらに海野宿へは、約2.0㎞。田中小学校入り口を左折し遊歩道をゆく。角に小仏あり。拙句「仰向きて土竜(もぐら)転げし海野宿」
DSC00338.JPG
DSC00339.JPG

 9時30分、踏切を越してすぐ海野宿入り口の白鳥神社。柳並木が美しい宿場はまだ準備中で静かなり。海野宿資料館前に文化9年の一茶句碑「夕過乃臼の谺の寒哉」。馬の塩舐め石傍のベンチで靴を脱いで休憩。風鈴の音が四方から届く。店は時間が早いのか、準備中だった。
DSC00344.JPG
白鳥神社
DSC00343.JPG
DSC00343.JPG
ご神木
DSC00346.JPG
DSC00351.JPG
DSC00349.JPG
DSC00350.JPG
DSC00352.JPG
DSC00355.JPG

9時55分に海野宿を出る。しなの鉄道大屋駅前で、コンビニで買ったおにぎりで昼食。10時17分、千曲川河畔に建つ赤仁王像へ。
DSC00357.JPG
DSC00359.JPG
赤仁王像

 旧家尾崎家があった岩下小休所跡、境内入口の鳥居の背面に「寛保3年(1743年)の彫がある伊波保(いわお)神社を過ぎて、太鼓岩に着く。千曲川に巨岩(角礫火山岩)があり、ここに当たる波の音が騒々しい。拙句「太鼓岩瀬音に揺れし胡桃かな」
DSC00363.JPG
岩下小休所跡
DSC00364.JPG
伊波保(いわお)神社
DSC00370.JPG
太鼓岩
DSC00372.JPG
千曲川畔

11時27分、神明小学校前に馬頭観音・道祖神あり。すぐ先に「右1㎞に信濃国分寺」の表示板あり。食事処がないか目を凝らすと、「つけば料理 ひばち屋」(上田市国分0268-24-7418)の看板を見つけ、声をかける。
DSC00363.JPG
神明小学校前に馬頭観音・道祖神

 事前予約注文で受ける仕出し屋さんだった。女将さんとしばらく話をしているとご主人の山本斉(ひとし)さんが見えて、店の中で串焼きの「鮎塩焼きが焦げてしまってこれは出せないから食べなさい」と小太りのを2匹をいただいた。小学生のころからお父様の投網で鮎を捕る生活を見てきたと二代目。表には投網が干されていて、鮎の生簀も見せていただいた。
DSC00376.JPG
DSC00374.JPG
DSC00378.JPG
投網
DSC00380.JPG
ご主人の山本斉(ひとし)さんと鮎の生簀

 12時55分、科野大宮社を過ぎて、今日の宿を探すのに松尾町の「観光案内所 まちなか情報いいね館」に飛び込む。
DSC00382.JPG
科野大宮社

 ここでいただいた宿の資料から、十数件安い料金の所から電話検索。素泊まりで税込3,500円の旅館天神を発見!案内所で勧められたの14時30分から上田城無料ガイド小林さんの話を聞くことになった。NHK大河ドラマ「真田丸」の影響が凄い!を連発。「5月に連休には、家康軍38,000人が攻め寄せてきたかと思うほどの混雑ぶりでした!」上田城は真田信繁(幸村)の父・昌幸が1583年に築城した居城。
DSC00387.JPG
上田城東虎口門
DSC00389.JPG
直径3mの真田石
DSC00390.JPG
真田井戸
DSC00391.JPG
二の丸堀跡

旅館天神は、イト-ヨーカ堂のあるアリオ上田すぐそばで、チエックイン後、夕朝食の買出しをすることに。今日の小諸宿から上田宿までは約19.7㎞、33,000歩。
宿は高校生のクラブ合宿の客がいて、部屋が落ち着くまでは大騒動だった。
DSC00394.JPG
旅館天神

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

温泉夜話 日本唯一、足湯があるコンビニエンストアが誕生!

$
0
0

温泉夜話 日本唯一、足湯があるコンビニエンストアが誕生!
IMG309.jpg
足湯のあるコンビニエンスストア「サークルK信州上山田温泉店」(

2016年8月6日から、北国街道を軽井沢の追分宿から歩きはじめた。その3日目、上田宿から戸倉宿へ歩き、戸倉上山田温泉の國楽館 戸倉ホテルに宿泊した。炎天下、昼過ぎに到着後にランチをとりに温泉街を散策した時、中央通りに足湯のあるコンビニエンスストア「サークルK信州上山田温泉店」(全国で6251店舗・3月末現在)を見つけた。足湯は大きな駐車場の道路側の一角にある。長さが7.2m、幅90㎝の源泉掛け流しで、2人掛け座面が6つあり、木製の屋根がある。清掃などの管理のため、営業時間は4月~10月が、10時~17時。11月~3月が、10時~16時。源泉は毎分20ℓ、44度のアルカリ性単純硫黄泉を利用している。ほとんど無色透明で強硫黄味・硫化水素臭がある。説明では「湯だまりの湯 街の縁側」として、街の皆さんがご近所さんと話したり、店のお客様と話したり、市営バスの待合所として利用したり、また、旅行者の方々の思いでの場所になれたらとの想いと、社会貢献活動の一部として、この場所に足湯を作りました。とある。
IMG299.jpg
IMG301.jpg
IMG305.jpg
IMG307.jpg
IMG308.jpg

千曲市上山田1丁目31―1の「上山田温泉入口」バス停のそばで、2014年4月15日のオープン(長野県では7店舗)。敷地は上山田温泉株式会社(小平吾郎社長)の所有地で、元は閉鎖していた5階建ての旅館を解体・整地し、1階はコンビニの店舗、2・3階は各階4部屋のマンションを建築した。もともと旅館には源泉を引いていたので、管理会社のダイワハウスの提案で足湯の施設も造ることになった。
つまり、1階の店舗、駐車場をコンビニエンスストアにテナントで貸していて、サークルK側は、温泉使用料として毎月6万円を支払っている。
以上の情報は、戸倉上山田温泉の関係機関で調べた。コンビニで足湯があるのは珍しいので、オープン時やお祭りの時などに取材が殺到し、話題性はサークルKの売り上げにも貢献しているという。
IMG309.jpg
IMG311.jpg

道の駅の敷地内にコンビニエンスストアも、足湯もあるというのはいくつかあるが、コンビニエンスストア単独で敷地内に足湯施設があるのは画期的である。ちなみに中央通り「水と緑と潤いのある公園」にも足湯がある。

参考:温泉夜話 全国唯一温泉のある百貨店のはなし
   http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-18
温泉夜話 天然温泉のある山小屋のはなし
  http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2011-04-27
温泉夜話 温泉のある宿坊のはなし
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2008-09-14
温泉夜話 温泉課のある行政、市・町のはなし
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-11

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

北国街道を歩く 3日目 上田宿から戸倉宿へ 2016.8.08

$
0
0
北国街道を歩く 3日目 上田宿から戸倉宿へ 2016.8.08
IMG223.jpg
上田宿の旧家屋が残る柳町

8月08日(月)、5時55分に出発。上田駅前を通り、中央2丁目信号で北国街道と合
流。
IMG214.jpg
原町市神社

 中央3丁目で左折し、すぐ土蔵造りや旧家屋が200mに渡って残る柳町。まだ朝早いので涼しい。海禅寺から引いた清水「保命水」を左折、拙句「爽やかな真田の朝の虫の鳴き」
IMG218.jpg
IMG223.jpg
IMG225.jpg
柳町の旧家屋
IMG228.jpg
清水「保命水」

 6時42分、18号線の「生塚」へ合流。すぐ先に千人塚・正福寺。寛保2年(1742年)の豪雨で千曲川の氾濫で、通常より約10m増水した大洪水で2800人余の流死者を出した祈念碑が建つ。秋和、の先Y字入り口で、野菜収穫のご夫婦に声かけられ、「水分補給に持っていきなさい」と胡瓜とトマトをいただき、励まされる。荷は重くなるので、歩きながらお腹の中へ。
IMG230.jpg
IMG231.jpg
千人塚
IMG234.jpg
秋和

 7時09分、一里塚公園、北国街道往還道碑。裏に文久元年(1861年)塩尻の銘。新幹線ガードを越すと立派な堀や石塀がある家屋が続く。
IMG235.jpg
一里塚公園
IMG240.jpg
堀や石塀がある家屋

 沓掛酒造、「下塩沢」信号を過ぎ岩鼻へ。左小指が傷んで、何度も休憩する。8時、古代に狼煙台が岩鼻にあったことから、寝不見(ねずみ)という地名の説がある「ねず見」。鼠宿跡は上田宿と坂木宿との間宿。かつて団体旅行のランチでよく利用した薬膳料理で有名な新田醸造を通過。
IMG241.jpg
岩鼻
IMG243.jpg
一里塚橋
IMG245.jpg
鼠宿跡
IMG250.jpg
薬膳料理で有名な新田醸造

 Y字路、南条郵便局を右折。江戸初期往海玄古住職がタバコ栽培を広めたという「玄古たばこ碑」、「身にもみて大根からし秋の風」芭蕉句碑のある西念寺。芭蕉は貞享5年(1688年)姥捨ての田毎の月鑑賞後に坂木宿本陣宮原拾玉に招かれ、名産の「なかんしょ大根」と「おしぼりうどん」を食し生まれた句。
IMG255.jpg
玄古たばこ碑
IMG256.jpg
芭蕉句碑のある西念寺

 中之条信号から150m先の民家に横臥する見事な松が健在。30年前、田中角栄氏が2千万円で譲ってほしいといったとか。
IMG260.jpg

 9時20分、善光寺常夜灯、二十三夜塔、村上義清公墓所・田町十王堂(閻魔堂)へ。西宮神社過ぎて道狭し、道に迷い、立派な門構えの片桐宅を尋ねる。ご主人と15分ほど旅談義で盛り上がる。
 突き当りの左手は、坂城駅、右へ折れて病院に行くという80代の老夫婦に声かけられる。かつてトライアスロンをしたといい、励まされる。
IMG262.jpg
善光寺常夜灯
IMG264.jpg
二十三夜塔
IMG266.jpg
田町十王堂(閻魔堂)IMG269.jpg
西宮神社

 右手に旧坂木宿本陣表門、クランク状に行き、善光寺常夜灯。
IMG270.jpg
旧坂木宿本陣表門
IMG276.jpg
善光寺常夜灯

 10時25分、しなの鉄道のガードをくぐり、笄(こうがい)の渡し碑跡。村上義清公が落城時に船頭に千曲川を渡してもらい落ち延びた。髪飾りの笄を船頭に与えた。11時03分、松雲山泉徳寺に虎杖の句碑を過ぎて、じきに千曲市へ。右手の旧道に行くと旧家屋あり、この辺りが上戸倉宿か?千曲川沿いに行き、万葉橋へ向かう。ここで今日の宿泊を國楽館戸倉ホテルに1泊夕食付で6,000円税別で予約。
IMG280.jpg
笄(こうがい)の渡し碑跡
IMG285.jpg
松雲山泉徳寺IMG292.jpg
千曲川と温泉街

 12時に宿へ到着、荷を置いて大浴場でひと風呂浴びてからランチ探しに外出。意外にに営業している店が少なく、蕎麦屋で天ざるに。芭蕉句碑にあった「おしぼりうどん」を賞味したかったが・・・。近くに足湯があるコンビニ・マルケイサークルを発見した。2014年4月15日オープンで、足湯付きコンビニは全国唯一だ。
IMG315.jpg
國楽館戸倉ホテル
IMG316.jpg
玄関
IMG318.jpg
2階の部屋
IMG322.jpg
浴室
IMG309.jpg
足湯があるコンビニ・マルケイサークル

その後、千曲川畔にある「戸倉温泉発祥碑」を訪ねる。温泉街を開いた坂井量之助顕彰碑で、戸倉上山田温泉は、明治26年で度重なる洪水で荒廃していた。私財を投じて温泉街を開いた坂井量之助が志半ばで夭折。翁の義理の兄藤井氏が大正5年、鉄工所を経営で成功していた畑山国三郎に温泉経営権を譲渡。以後、畑山は温泉街の基礎造りに貢献した。じつは畑山氏は國楽館戸倉ホテルのご先祖様だった。宿の主人畑山佳則氏は4代目。
IMG331.jpg
温泉街を開いた坂井量之助顕彰碑

 夕食は部屋でいただいた。蕎麦、茶碗蒸し、烏賊のお造り、鮭のボイル焼き、ハンバーグ、茄子・ピーマンの炒め、蕨・ゼンマイの煮もの、ご飯に味噌汁。
IMG334.jpg

拙句「風涼し千曲湯開祖碑の錆し」「日焼けする肌の痛みや戸倉の湯」
 3日目は上田宿から栃木宿12.4㎞、上戸倉宿、下戸倉宿へ5.9㎞合計18.3㎞。

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

北国街道を歩く 4日目 戸倉宿から川田宿まで 2016.8.09

$
0
0

北国街道を歩く 4日目 戸倉宿から川田宿まで 2016.8.09
DSC00531.JPG
松代藩鐘楼・江戸時代の時の鐘(約2時間毎)、1624年(寛永元年)初代藩主真田信之が火の見櫓と共に設置。3度の大火で焼失、1801年(享和元年)に再建、2012年に修復。日本電信発祥の碑もあり

8月09日(火)、5時20分に宿を出る。サークルKで朝食を購入。
DSC00482.JPG
千曲川と戸倉上山田温泉

5時45分に旧道に合流するが、下戸倉宿本陣跡は不明。「下の酒屋」は、信号の角にある旧家屋を利用した蕎麦屋「萱」か?6時20分、㈱長野セラミックを右手に。この会社は人工温泉機器を製造し、かつて取引をしていた。寂蒔の元禄6年(1693年)に築いた水除土手、はす向かいに淨海と芭蕉の句碑「名月や児達ならぶ堂乃塚」
DSC00485.JPG
旧家屋を利用した蕎麦屋「萱」
DSC00486.JPG
DSC00487.JPG
㈱長野セラミック
DSC00488.JPG
寂蒔の元禄6年(1693年)に築いた水除土手碑
DSC00491.JPG
淨海と芭蕉の句碑

7時、右手の屋代駅前で朝食、歯磨きを済ます。7時20分に出てすぐ大きな道祖神、一本南の道に行き、屋代小学校敷地にある明治21年建築の洋風学校を見る。生蓮寺にあるという大逆事件の屋代出身の新村兄弟の墓は見つからず。明治に再建された旅籠藤屋を過ぎて須々岐水神社をクランクして矢代宿本陣跡のY字路を右手、あんず街道を進む。
DSC00493.JPG
屋代小学校敷地に行く手前にある道祖神
DSC00494.JPG
明治21年建築の洋風学校
DSC00498.JPG
明治に再建された旅籠藤屋
DSC00501.JPG
須々岐水神社

 足指が痛み、科野の里ふるさと広場で靴脱ぎ足を休める。上信越道ガードを過ぎ、右手に森将軍古墳館、長野県立歴史館併設の科野の里歴史公園。山上に古墳遺跡が見える。拙句「山上の古墳明るし青田かな」「青田風山上古墳見上ぐして」
DSC00503.JPG
科野の里歴史公園
DSC00504.JPG
山上に古墳遺跡

ENEOSをY字左折、休憩から30分歩いてから、松代への表示板がないこと気づく。倉科の里に来ていた。2㎞も間違えて東に来ていた。植科大宮神社を抜けて、9時35分に唐崎城趾へ。9時53分、上信越道手前の一里塚跡、振袖地蔵尊、灯籠を見て土手側の道を行くが、結局土手を降り、清水庵地蔵尊を通過して車道へ。右手に妻女山、会津比売神社を森の中に見て、「中道島」Y字路を右手、松代市街地方面へ歩く。
DSC00507.JPG
植科大宮神社
DSC00511.JPG
一里塚跡
DSC00512.JPG
振袖地蔵尊
DSC00513.JPG
清水庵地蔵尊
DSC00515.JPG
長芋畑

松井須磨子入り口を過ぎ、文武学校、旧白井家表門、真田邸方面へ。11時半、街道へ戻る手前の食事処「ニュー街道一」で生姜焼定食を食べる。
DSC00520.JPG
文武学校
DSC00522.JPG
真田邸
DSC00523.JPG
食事処「ニュー街道一」で生姜焼定食

松代まち歩きセンターで、今日の宿泊所を相談する。この先の川田宿に宿泊場所がないことが判明。そこで紹介されたのが、松代市内の築120年の明治時代の町屋(登録有形文化財)「松代ゲストハウス布袋屋」だった。ここにひとまず荷を置き、川田宿まで歩くことにした。
DSC00525.JPG
「松代ゲストハウス布袋屋」

12時45分に出発。旧松代藩鐘楼に寄り。荒神町Y字路を右折。松代焼窯跡をえて13時25分、川中島合戦供養道標(この位置がなかなか分かりにくかった)を右折し、鳥打峠へ山道を登る。一旦、上信越道まで下り、すぐ右折。道なりに行くが行き止まり、戻りつつ、上信越道を超え、牧島、大室へ出る。
DSC00531.JPG
旧松代藩鐘楼
DSC00538.JPG
川中島合戦供養道標から、鳥打峠へ山道を登る
DSC00539.JPG

 自転車に南瓜を乗せたお婆さんに道を尋ねると「大変ね!南瓜しかないけど持ってく?」といわれたが、疲れて重いものを持つのはもう勘弁と「お気持ちだけいただきます」14時25分、大室崖岩下の仏像群で休憩。右上に「まきばの湯」が見える高井大室バス停で、時間を確認して一気に川田宿へ。
DSC00541.JPG
大室崖岩下の仏像群
DSC00543.JPG
大室古墳入口
DSC00544.JPG
高井大室神社

関崎の渡し跡の常夜灯を右折し下る。火伏の秋葉社を過ぎ15時13分、西沢邸、川田宿本陣、高札場着。松代行の16時07分発に合わせてバス停に戻る。
DSC00554.JPG
関崎の渡し跡の常夜灯
DSC00548.JPG
火伏の秋葉社
DSC00574.JPG
川田宿場
DSC00553.JPG
川田宿の西沢邸
DSC00550.JPG
川田宿本陣
DSC00551.JPG
高札場
DSC00552.JPG

居眠りをしているうちに松代着。松代ゲストハウス布袋屋でチェックイン。素泊まり&相部屋で3,300円。今日は幸いにして私一人の貸切状態。奥の和室2間のうち一間に布団の用意。布団式はセルフサービスで、離れにウォッシュレットトイレとシャワー室がある。厨房と大型冷蔵庫もあり、ソフトドリンクは自由に飲める。部屋には野の花が飾られていて、オーナー山本薫さんの心遣いが思われる。洗面台には松代焼窯元から調達した「糸繰り鍋」を利用していた。古い襖を剥がしたら、「弘化3年繭仕入帳」「明治16年の布袋屋忠治郎」の銘が出てきた。「布袋屋の代々の関わりを証明する歴史的な証拠が出現してうれしい」とご主人の山本勝彦さんは言う。
DSC00574.JPG
松代ゲストハウス布袋屋
DSC00557.JPG
DSC00561.JPG
DSC00577.JPG
DSC00581.JPG
DSC00530.JPG
DSC00588.JPG
オーナーの山本薫さん
DSC00583.JPG
古い襖を剥がしたら、「弘化3年繭仕入帳」「明治16年の布袋屋忠治郎」の銘が出てきた

夕食は薫さんから、教えられた松代名産の長芋を活かした、「食事処うめたや」へ。長とろ定食(長芋とろろ汁、茄子・しみ豆腐の煮もの、鮪刺身、味噌汁、漬物、長野県特A地区飯綱町三水のご飯:980円)+白グラスワイン(300円)。味も器も満足なディナーだった。食後は車で10分ほどの松代温泉「松代荘」に送迎していただいた。
DSC00559.JPG
「食事処うめたや」での長とろ定食

翌早朝は、やはり勧められた散策路の歴史的道すじ、思索の小道を堪能し、朝食はつたや本店の茄子と野沢菜おやき+コーヒ(550円)をいただいた。
DSC00562.JPG
DSC00564.JPG
DSC00568.JPG
DSC00569.JPG
山寺常山邸
DSC00573.JPG
山寺常山邸の庭園
DSC00578.JPG
つたや本店のカフェでモーニング
DSC00580.JPG
お焼きとコーヒー

9時43分の篠ノ井線篠ノ井駅まで薫さんに送っていただいてお別れ。松本駅(10時56分着)甲府駅で一旦下車し、ランチに横浜ラーメンを食べる。

 翌8月10日、14時頃に東京へ戻る予定。しなの鉄道戸倉駅発15時04分、上田着15時19分、軽井沢には16時04分着。ここから16時20分発のJRバスで横川へ、16時54分着。吾妻線17時20分横川駅から17時53分高崎へ。八高線で高崎を18時06分に出て19時37分高麗川、20時18分着拝島経由で東青梅へ。JR高尾駅乗り換え、八王子、拝島経由で青梅には夕方に着いた。青春きっぷでの普通列車は、時間がかかる。

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

 


北国街道を歩く 川田宿から福島宿、長沼宿、神代宿へ 2016.8.26~27

$
0
0
北国街道を歩く 川田宿から福島宿、長沼宿、神代宿へ 2016.8.26~27
DSC04107.JPG
正福寺の六地蔵

8月26日から、2回目の北国街道歩きを実施した。第1日目の荷を軽くして歩く方法を考え、宿をあらかじめ決定して、荷を宅急便で送ることにする。長野観光案内所で調査していただき、ようやく神代宿・豊野駅の近くに「神風館(じんぷうかん)」〒 長野県豊野町豊野1056-1 026-257-2022を見つけた。1泊夕食付で@5,500円で決定。

8月26日(金)に自宅を4時40分に出発し、東青梅駅5時10分発、拝島乗り換え5時44分、八王子発6時33分、松本駅10時16分着、11時09分発、長野駅12時22分着、観光案内所で翌日の黒姫の宿情報を仕入れる。松代行バス12時45分、松代駅着13時15分(650円)。ここで電話をしまくり、ようやく明治後期建築のふじのや旅館(素泊まり3,500円)に決定。川田方面乗り換え14時発で川田宿へは14時20分に着いた。

前回歩いたゴール地点を確認する。宿の端の秋葉社から出発する。14時37分、一里塚通過、保科橋を渡って403号線へ、千曲川に沿って歩く。北野美術館に隣接する北野天満宮信濃社を通過。
DSC04099.JPG
川田宿の秋葉社
DSC04101.JPG
DSC04102.JPG
一里塚
DSC04103.JPG
北野天満宮信濃社

 15時04分、「右松代 左保科道」道標。すぐ先に正満寺、六地蔵あり。山門(鐘楼)は市指定文化財。綿内入り口信号角に西宮神社、「綿内追分碑」
この辺り、桃畑など果樹園が多い。屋島橋が工事中で、歩いて突っ切るのに一苦労。国道を渡るのに帽子を落とし、車にひかれ金具がぺしゃんこ。
DSC04104.JPG
「右松代 左保科道」道標
DSC04107.JPG
正満寺六地蔵
DSC04110.JPG
西宮神社
DSC04109.JPG
「綿内追分碑」
DSC04112.JPG
工事中野屋島橋

 15時48分、福島宿へ入り、大笹街道道標。天神社は福島宿北の枡形で直角に折れる。大幟は高井鴻山の筆。西福寺は福島宿一古い。この先にかつて布野の渡しがあった。
DSC04116.JPG
大笹街道道標
DSC04118.JPG
DSC04121.JPG
DSC04122.JPG
西福寺

村山橋まで土手を歩く。16時15分に橋を渡りはじめ、20分かかった。土手に沿ってリンゴ畑を歩き、
DSC04125.JPG
DSC04127.JPG
DSC04130.JPG
千曲川
DSC04131.JPG

 見事な赤松がある秋葉社、左折して長沼神社へ。林光院山門に十王像が安置。寺前に長沼の道標あり。右へ突き当ると蓮如上人が2度滞在したという西巌寺。善導寺で道に迷い、17時10分、国道18号線アップルラインで行く。
DSC04133.JPG
赤松がある秋葉社
DSC04134.JPG
長沼神社
DSC04135.JPG
DSC04137.JPG
林光院山門に十王像が安置
DSC04139.JPG
西巌寺
DSC04140.JPG
善導寺

 旧道の赤沼公会堂には信州リンゴ発祥の碑があるが見られなかった。赤沼信号で左折し、豊野駅方面へ。踏切があるかと思いきや、歩道橋で渡り多賀神社へ。突き当り正面石段上に観音堂。中腹まで数えたが59段。13世紀に創建した聖林寺が前身。
DSC04153.JPG
DSC04154.JPG
歩道橋で渡り多賀神社へ
DSC04144.JPG
観音堂

宿は踏切手前に戻ったところで、18時30分神風館へ到着。浴室が2ヶ所あるが、間違えて湯が出ないところで裸になり、とりあえず水シャワー後に夕食。豚肉と野菜の陶板焼きの良が半端じゃない。ゴーヤちゃんぷる、茄子と蒟蒻の煮もの、海老焼、ポテトとコーンサラダ、鮪刺身など。
DSC04141.JPG
神風館
DSC04152.JPG
夕食膳

川田宿から福島宿へ5.9㎞、長沼宿へ3.9㎞、神代宿へ7.9㎞合計17.7㎞で時間にして、4時間余で見るべきものの見ないで相当急いだ1日だった。荷を少しでも事前に送っていたのが幸いだった。

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

北国街道を歩く 神代宿から牟礼宿、柏原宿、野尻宿へ  2016.8.27

$
0
0

北国街道を歩く 神代宿から牟礼宿、柏原宿、野尻宿へ  2016.8.27
DSC04231.JPG
柏原宿の明治21年築のふじのや旅館に泊まる

8月27日(土)小雨の神代宿をポンチョ着て6時25分に出発。白塀から乗り超えて、紫色の朝顔を咲かせているのを新鮮に映った。観音堂をカーブで左折し、登り坂を行く。神代坂の大石上に仏像が。
DSC04155.JPG
観音堂
DSC04156.JPG
DSC04157.JPG
神代坂

さらに傾斜に植えられたリンゴ畑の多い登りが続く。北国街道の表示板が入り口にあっても、その先のY字路でどちらに行くのかが分からず、方角で決めてしばらく行って不安になり、また元の道まで戻ることがあった。
7時42分、白坂峠一里塚。かつては道を挟んで両側に土饅頭形の塚が築かれていたが、道路の拡幅工事で削られた。
DSC04159.JPG
白坂峠一里塚
DSC04162.JPG

 平出への表示に従い、8時15分県道60号線、荒瀬原線飯綱町平出へ出る。
「三本松」信号角セブンイレブンでサンドイッチとコーヒーを購入、小雨に中歩きながら食べる。三本松は、一茶が江戸へ奉公に行くとき父が柏原から牟礼まで見送ってくれた地で、「父ありて明ぼの見たし青田原」の句碑がある。
DSC04163.JPG

DSC04165.JPG
三本松

 8時37分、右手へ旧道、高さ18m、幹回り2.9mのエノ木塚が残る四ッ屋一里塚。拙句「リンゴの木枝撓るるや母の腕」
DSC04167.JPG
DSC04169.JPG

8時52分、牟礼に入り旧道右手に「中生門」、牟礼宿鎌問屋か?幕末の建築で本うだつのある旧家屋山本宅、すぐ左に牟礼神社。證念寺を左折、上り口に閻魔王などを祀る十王堂。冥途の十人の裁判官だ。
DSC04170.JPG
DSC04171.JPG
DSC04173.JPG
DSC04174.JPG
DSC04177.JPG
DSC04179.JPG
十王堂
DSC04184.JPG
観音寺

9時37分、佐渡の金銀を江戸へ送る中継地だった金附場跡。この辺り、売地の広告が多し。拙句「里山の売地の多し大胡桃」小玉の先、18号線を北へ横断する。後に新道と古道の分岐を右折し、古道へ。
DSC04185.JPG
金附場跡
DSC04187.JPG
DSC04191.JPG
観音平

 すぐ新道に合流し、「右牟礼役場へ2.1㎞、左野尻湖公民館9.6㎞」の表示板。すぐに「小玉坂一里塚跡」傍らに上杉謙信馬留清水が湧き茶屋があった。
 DSC04195.JPG
DSC04197.JPG

10時40分、峠を下ると落影集落、一面蕎麦の花で明るくなる。池中開田祈念碑、続いて落影立場の家がある。11時05分、小古間集落の大悲恋、ふくよかな六地蔵、延命地蔵尊を見る。
DSC04200.JPG
DSC04201.JPG
DSC04204.JPG
ふくよかな六地蔵

11時22分、古間一里塚へ。文政4年(1821年)松の木が倒木、人馬圧死とある。一茶の句碑。
DSC04208.JPG
DSC04210.JPG

 11時30分、古間宿本陣跡、諏訪神社、一茶最古の句碑「松陰に寝て喰ふ六十余州かな」文政の大火で居宅を失い焼け残りの土蔵の一茶旧宅と句碑「門の木も先ずつつがなし夕涼み」、一茶旧宅の敷地内に子孫が住んだ一茶屋。石灯篭と切り石が残る柏原宿本陣跡。
対面にある明専寺には有名な句碑「我と来て遊べや親のない雀」がある。
DSC04212.JPG
古間宿本陣跡
DSC04213.JPG
諏訪神社
DSC04215.JPG
DSC04216.JPG
DSC04217.JPG
DSC04220.JPG
DSC04221.JPG

 食事場所を訪ね歩いて、開いていれば黒姫駅前のラーメン屋くらいと聞き直行する。本日宿泊のふじのやは、真向いだった。地元の人も来るラーメン屋で混雑していた。
DSC04225.JPG
DSC04226.JPG
DSC04227.JPG
DSC04231.JPG
ふじのや旅館

12時35分、ふじのや旅館にチェックインし、荷を置き野尻湖から黒姫駅へ戻る16時20分発の時間(200円)を確認してから、13時30分に歩き始める。ずっと国道18号線の下り坂。上信越道を越してから、14時15分、国道両側に一対の塚が残る野尻一里塚に。
DSC04250.JPG
DSC04251.JPG
野尻一里塚

「ナウマンゾウ発掘地」信号の先を右折のつもりが、道が分からず次の信号、ナウマンゾウノモニュメントがあるまで行きすぎてしまった。右折して野尻湖畔へ。遊覧船乗り場前がバス乗り場というので、しばらく時間調整で待つ。小雨で霞がかり湖面が見えないのに、遊覧船乗り場には大勢の観光客で待つ人が多い。
DSC04259.JPG
DSC04252.JPG
野尻湖畔

 野尻宿本陣跡が不明で、明日に立ち寄ることにして、バスで黒姫駅へ戻る。ふじのやへ入室し、まず洗濯し、干し物は2階の縁側へ干させてもらった。「ふじのや」は屋号で、正式名は「藤野屋旅館」明治21年、初代小林嘉七により割烹料理屋創業。二代目の小林由三郎が旅館業を始める。三代目の小林嘉左エ門が現旧館の「藤野屋旅館本館」を建設。四代目小林隆太郎をえて五代目小林隆信氏が「はなれ」を昭和44年に増築し、現在に至っている。本館は国登録有形文化財になっている。本館は宿泊が認められず、私の部屋ははなれの8畳の菊の間。
DSC04253.JPG
DSC04238.JPG
創業当時の写真
DSC04239.JPG
二階大広間・汚れ防止のためゴザで覆っている
DSC04241.JPG

DSC04234.JPG
創業当時のままの二階の部屋
DSC04254.JPG
DSC04244.JPG
本館の二階階段
DSC04232.JPG
離れの二間に泊まる

夕食は真向いの蕎麦屋で「ミニ天丼と盛り蕎麦」と燗酒をいただいた。小付けに間違えたらしい馬刺しが来てとんだ贈り物。店内には一茶の短冊句が飾られ、流石に一茶の故郷だ。ふじのやに隣接する酒屋で、明日の朝食用パンと夜のつまみと冷酒真澄を購入。部屋に戻ると部屋にりんごとトウモロコシが差し入れされていた。ありがたい。
DSC04256.JPG
牟礼宿へは7.9㎞、柏原宿へ7.9㎞、野尻宿へ3.9㎞合計19.9㎞

☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

北国街道を歩く 野尻宿から関川、田切、関山、二本木宿へ。 216.8.28

$
0
0

北国街道を歩く 野尻宿から関川、田切、関山、二本木宿へ。 216.8.28
DSC04303.JPG
塚が西側のみが残った北沢一里塚

8月28日(日)野尻宿を6時40分に出発。前日、観光案内所で教えられた「信濃町 観光タクシー助成券」を利用して、タクシーで野尻宿本陣跡まで行く。この助成券で信濃町が800円負担してくれる。気温は18度、7時に旅籠安右衛門(名主)本陣跡からスタート。
DSC04257.JPG
野尻宿本陣跡
DSC04260.JPG
国道18号線沿いにあるモニュメント

 国道18号線に出ると、ナウマンゾウのモニュメントが蕎麦畑に映える。拙句「雄叫びのナウマンゾウや蕎麦の花」下り坂の道沿いに、廃屋となったラブホテルが3軒、バブル崩壊の遺跡か?信越大橋の手前を右折し、7時48分に関川の関所「道の歴史館」へ。
DSC04262.JPG
信越大橋手前
DSC04263.JPG
信越大橋を下から

 突き当り、右へいくと加賀藩関川宿本陣跡、大石家池泉式庭園。さらに高田藩本陣跡豊田家にわずか石垣が残る。この辺り、豪雪地帯で一階部分が物置などで、主屋は2階からになる造り。
左手に戸隠山が見える。
DSC04267.JPG
DSC04268.JPG
関川の関所跡
DSC04270.JPG
加賀藩関川宿本陣跡、大石家池泉式庭園
DSC04272.JPG
高田藩本陣跡豊田家

 8時15分、右手は妙高高原駅、日本唯一のスキー神社を過ぎる。
8時37分、深川橋を渡り、田切宿へ。大田切川に架かる大橋の左かわ回り込み旧道右へ。
DSC04278.JPG
戸隠山
DSC04276.JPG
日本唯一のスキー神社

田切宿は二俣宿と合宿で、白田切川と郷田切川に挟まれた交通の難所。文化13年(1816
年)開湯の赤倉温泉は、田切宿の庄屋が発起人だった。9時3分右手は旧北国街道入り口だが草ぼうぼうで諦める。左に「二俣宿」関山宿へ6㎞の表示。明治天皇二俣御小休所跡。
DSC04282.JPG
二俣宿

 9時22分、御館(おたて)の乱無名戦士の墓の後、国道18号線に合流、赤倉温泉スキー場入り口を過ぎる。10分後、太田切川の妙高大橋を渡り、右折。
DSC04283.JPG
御館(おたて)の乱無名戦士の墓

 9時45分、坂口新田バス停手前に「坂口新田一里塚」があった。妙高山麓直売センターでトイレと220円の葡萄1房を購入、歩きながら水分補給。
DSC04288.JPG
妙高山麓直売センター

 10時21分、小野沢の白野山興善寺へ。右手に祠内に10分後に覆屋に2体地蔵の泉地蔵あり。
10時40分、関山神社と奈良薬師時にある日本最古のものに次いで古い仏足石。
DSC04291.JPG
覆屋に2体地蔵の泉地蔵
DSC04293.JPG
DSC04298.JPG
関山神社
DSC04296.JPG
仏足石

11時13分、西側のみが残った北沢一里塚。関山宿の東端へ国道に出てすぐ右手に蕎麦屋「縄文そば今町屋」でかき揚げ盛り蕎麦をいただく。2㎞行くと公民館前の筆塚、奥には片貝縄文資料館。公民 館前の日陰で昼寝、45分熟睡。
DSC04303.JPG
北沢一里塚
DSC04305.JPG
蕎麦屋「縄文そば今町屋
DSC04307.JPG
公民館前の筆塚と奥の片貝縄文資料館の表示版

13時18分、これより松崎宿。二本木の戸数67軒、寺院2軒、松崎宿との距離は2㎞で合宿。市屋一里塚跡は不明。
DSC04310.JPG
DSC04311.JPG

 13時25分、松崎宿入り口枡形になる欅と杉の大木の若宮神社通過。
DSC04312.JPG

 13時40分、白山神社、明治天皇二本木御休所。高さ2m、直径35㎝の円柱あり。「二本木に入ったら、綱を放して、小荷駄の者は馬に乗って通ってはいけない。村内はくわえきせるをするな」との記述らしい。
DSC04315.JPGDSC04316.JPG

 桜古木に囲まれた中郷小学校手前、右手山中に蛇塚。「北国街道踏切」を渡り、600mも行くと松崎宿。右手の安楽寺が本陣役を担った。1.5㎞も行くと左手に二本木駅。
DSC04319.JPG
二本木駅ホームに入る電車

二本木駅や北新井駅周辺に宿がないため、昨日泊まった黒姫駅前のふじのや旅館に泊まることにした。14時20分発妙高高原駅方面に乗車する。15時頃に黒姫駅に着き、「一茶記念館」へ向かう。公園入口の階段を登ると「是がまあついの栖か雪五尺」の句碑。文化9年(1812年)11月24日、一茶が柏原に戻った時の句。俳諧寺には「初夢に故郷を見て涙かな」の句碑。
DSC04321.JPG
DSC04322.JPG
俳諧寺
DSC04323.JPG
俳諧寺の天井

 一茶記念館で聞くと、信濃町で124の句碑があるという。今年の入館者は約15,000人、昭和35年には5万人を超した。ここで拙句「百の句碑万の寄せ来しおらが蕎麦」を投句。
DSC04325.JPG

「やせ蛙負けるな一茶ストリート」を通ってふじのや旅館へ。
夕食は昨日と同じ食事処で冷やしおろし蕎麦と行者ニンニク豆腐、熱燗をいただいた。じのや旅館で五代目小林隆信氏に宿のお宝の掛け軸などを見せていただいた。
DSC04253.JPG
DSC04328.JPG
ふじのや旅館五代目小林隆信氏

野尻宿から関川宿へ3.9㎞、田尻宿へ3.9㎞、関山宿へ7.9㎞、二本木宿へ3.9㎞合計19.6㎞ 約7時間。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

日本の原風景を訪ね歩く 第1回 鴨川の大山千枚田を歩く 2016.9.02

$
0
0
日本の原風景を訪ね歩く 第1回 鴨川の大山千枚田を歩く 2016.9.02
DSC04434.JPG
鴨川・大山千枚田の棚田

 クラブツーリズム主催の「日本の原風景を訪ね歩く 第1回 鴨川の大山千枚田を歩く」に妻と二人で参加した。約9.5㎞ 約3時間を歩く予定でした。新宿から出発し、添乗員、講師の他に、現地で2名のガイドが付くという。首都高速、東京湾アクアラインを乗り継いで、最初の休憩は「道の駅保田小学校」だ。2014年廃校となった保田小学校施設が「道の駅」として生まれ変わった。体育館は「里山市場 きょなん楽市」に、校舎はカフェ、イタリア料理店、鋸南百貨快、里山食堂、まちのギャラリー、音楽室に。宿泊施設や温浴施設もある。
DSC04399.JPG
DSC04400.JPG
DSC04403.JPG

 長狭街道の金束(こずか)から現地のガイドと合流し、高倉山神社入り口を10時に出発。女性の久慈さんがガイド役で先頭に、軽トラックで最後尾から景山さんが付いてくる。
DSC04405.JPG

 約30分の登り坂、ばくちの木の群生地を行くと大倉山中腹の大山不動尊へ。山頂の高倉神社は、742年の創建で、御本尊は鎌倉時代後期の木造不動明王像。標高219mに位置する不動堂は江戸時代の1802年(享和3年)築造で、波の伊八(武志伊八郎信由)が向拝の上下に飛龍、地龍の二体の龍を掘っている。
DSC04408.JPG
DSC04409.JPG
大山不動尊山門
DSC04410.JPG
DSC04412.JPG
DSC04414.JPG
DSC04416.JPG
DSC04419.JPG

 ここからなだらかな登りで40分行くと棚田倶楽部が管理する大山千枚田。日本棚田百選の一つ。天気の恵まれ、穂が色づいた千枚田は美しい。畦が刈られていればもっと美しかっただろう。傾斜の対面からの展望が美しい。
DSC04425.JPG
DSC04426.JPG
DSC04430.JPG
DSC04433.JPG
DSC04438.JPG

 11時を過ぎたばかりだが、棚田倶楽部のテラスの椅子に座ってランチ。歩く出発時にいただいた弁当を食べる。この季節がらか揚げ物一辺倒の弁当で、鮭の塩焼きや玉子焼きもない相当倹しい弁当。

 11時45分に棚田倶楽部を出発。30分ほど登った後、小仏の居る太田集会所あたりから下りになる。T字路の右手に加藤登紀子さんの亡き夫の農園が見えた。左折して12時40分、タルロの滝を過ぎて、「元名の鉱泉」で休憩。湧出量が少ないので、入浴施設はなく、大きなタンクに注がれているのみだった。
DSC04444.JPG
DSC04446.JPG
DSC04447.JPG

 かつてはこの辺り一帯は軍馬を育てていた、日本酪農発祥の地だった。
 13時30分、アララギ派の歌人・古泉千樫生誕地へ。歌集「アララギ」に編集に携わり、多くの秀歌を残した。
DSC04454.JPG

 熊野神社前から長狭街道に出て、「みんなみの里」で休憩。「長狭」という名は、昔から「長狭米」で知られており、房総の高級旅館やホテルでのご飯に使われていた。
DSC04455.JPG
DSC04457.JPG

 バスは鋸南町吉浜の安田漁協の一角にある「ばんやの湯」で入浴した。天然の温泉ではなく、人工的に高濃度炭酸泉を造ったもので、温泉マニアにとっては、天然温泉でなかったのは、とても残念だった。浴後に隣接する「ばんや本館」で生ビールと蛸の唐揚げをいただいた。同じテーブルにツアー同行者が二人来て、互いの刺身のおつまみなどを交換しながら、歓談することができた。
DSC04461.JPG
DSC04460.JPG

 棚田を訪ねるウォーキングの感想は、天候に恵まれて良かったが、43名の人数で現地ガイドが付くというので二十数名で1人づつのガイドが付くのかなと思ったら、43名で1人のガイドがガイディングレシーバーで説明しながら歩き、もう一人の現地の方は、リタイアした人用に軽トラックで最後尾についてきた要員だった。最後尾に東京から来た講師と添乗員が歩いていた。カーブの多い田舎道で、車がめったに来ないので狭い道いっぱいに広がり歩行していたので、突然歩行者がいるはずがないとスピードを上げた車が突然前方から飛ぶ出て来て、ガイドさんが身をはって「車が来た!」といってよけるように叫んだが、こうした危険な状態が二回あった。
添乗員の経験がある私の体験から、43名もの人数を一人のガイドが説明をしながら歩き、しかも安全確保の添乗員の仕事もこなすのはとても至難の業だ。最後尾の講師や添乗員がやるべき仕事があったのではないかと思う。
揚げ物とウインナーのおにぎり弁当も何とか工夫がないのかと思った。25人でのツアーなら、採算的にしょうがないかと思うが、43名でこの内容ではと不満が残る。確かに何人集まるかわからないから、難しいかも知れない。少なくとも今回のツアーで、出発時から参加していた講師の方はいらなかった。その分、お弁当に費用をかけてほしかった。
DSC04466.JPG
東京アクアラインの海ほたるパーキング

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


北国街道を歩く(最終回) 二本木宿から、新井、高田宿へ2016.8.29

$
0
0
北国街道を歩く(最終回) 二本木宿から、新井、高田宿へ2016.8.29
DSC04370.JPG
高田城外堀に栽培された蓮

 8月29日(月)5時52分発の黒姫駅に乗り、二本木駅には6時35分着。拙句「妙高を見つめて列車今朝の秋」駅トイレで歯磨き、トイレを済ませる。快晴、雲多し。ずーっと下り坂。7時、右手に松の木の藤沢一里塚。ここで暑くなったので肌着を脱ぐ。7時27分、賀茂神社、田圃が多く、畦がきれいに刈られ、稲穂に雀が出入りする様子がハッキリと見える。拙句「苅りた畦稲穂出入りす雀かな」
DSC04335.JPG

7時27分、賀茂神社、数年前から山から引かれたという手水場に近所の方が水をペットボトルに入れていた。張り紙には「飲み水ではありません」とあるが・・・。すぐ左手に照光寺境内に「親鸞聖人奮跡」?本堂上に寺の名の額がなかった。正面の欄間彫り物は7枚ある。「小出雲」信号下に飯山街道との追分道標「左飯山動、右善光寺道」
DSC04336.JPG
DSC04338.JPG
DSC04339.JPG
照光寺
DSC04341.JPG
照光寺正面の彫もの
DSC04342.JPG
追分道標
DSC04343.JPG
街灯

7時45分、上町延命地蔵尊、新井宿に入り、右手に市神社。新井宿では月に6回市が開かれた。
DSC04345.JPG
DSC04347.JPG

 左手に天保年間創業の「君の井酒造」があり、資料をいただき、写真撮影の許可をいただく。明治の大火で建築物や資料は消失。高田藩榊原藩主の酒造り128石の許可証に「天保13年」と記されていることからこれを創業年(1842年)としている。昭和26年までは「田中屋」「酒田中」と呼ばれていた。
DSC04348.JPG
DSC04349.JPG
天保年間創業の「君の井酒造」

 8時22分、石塚一里塚跡通過、大崎には矢代川の千草石(輝石安山岩)を利用した石屋が7~8軒続く。拙句「炎天や影を友とす前後ろ」右手の北新井駅を過ぎて、上信バイパス道の高架をくぐる。
DSC04353.JPG
東本願寺新井別院
DSC04355.JPG
石塚一里塚跡
DSC04357.JPG
石屋

 信越本線を越し、諏訪社、小さな祠の越後出雲神社へ。拙句「稲穂揺る鉄路電線青い空」9時45分、「御小休根切松」の先新幹線ガード下、「明治天皇石澤御小休所」の日陰で靴を脱いで休憩。
DSC04358.JPG
諏訪社DSC04359.JPG
越後出雲神社

 矢代川に架かる渡瀬橋をこえてすぐ右折。今泉城と大和神社、弘法の清水跡を通過。県道579号線右折すると伊勢町口番所跡、一里塚。
DSC04360.JPG
明治天皇石澤御小休所DSC04362.JPG
大和神社
DSC04363.JPG
弘法の清水跡
DSC04364.JPG
伊勢町口番所跡

 10時40分、右、神名宮で矢代川の蛇行部を外濠にして蓮の花が咲き残っている。7月22日~8月16日まで「上越蓮まつり」で、東洋一の蓮花群が見られたところ。「南本町2」信号を左折し、時の鐘があった周辺を探すが、粟飴を十返舎一九が紹介した高橋飴屋、紺屋は見つからなかった。
DSC04370.JPG
DSC04369.JPG
矢代川の蛇行部を外濠にして蓮の花
DSC04374.JPG

 11時15分に街中の上越プラザで休憩。高田駅前の観光案内所で、今日の宿泊所を「割烹宮田屋」の夕食付5,500円に決めた。 駅前の大黒屋でゆっくりランチを食べる。
DSC04375.JPG
旧第四銀行
DSC04381.JPG
DSC04380.JPG

駅前の芭蕉宿泊地跡を求めて、高田橋(上田橋)近所を探索する。芭蕉は高田で町医者細川春庵宅で3泊した。4代目の中山染物店主に聞き、県栄不動産のビルを建設時に碑を取り外したという。北国街道追分碑も探索した。ここは北国街道の基点になるので、是非とも確定しなければならなかった。昔は5の辻周辺が賑わって、昭和の半ばに7つの映画館や遊郭もあったという。明治44年(1911年)建築のルネッサンス式白亜の大劇場「高田座」が開業、その後、大正5年(1916年)に常設映画館「世界館」に改称、さらにいくつかの名称に変更、今唯一の映画館として「高田世界館」として105年の歴史を誇っている。その世界館の通りの「本町7丁目」信号先の右手の宇賀魂神社境内に碑「右おっしう道、左かがみち」があった。昭和10年に信号角のあったのを移転した。
DSC04382.JPG
芭蕉宿泊地跡だったところ
DSC04383.JPG
DSC04384.JPG
明治44年(1911年)建築のルネッサンス式白亜の大劇場「高田座」
DSC04386.JPG
DSC04387.JPG
北国街道追分の道標

割烹吉田屋は、秋葉神社の真向いにあった。2階の菊の間・8畳私の部屋。バストイレは共用、エアコン付き。夕方になるとこの宿の男児2名が剣道を習っているらしく、宿前で竹刀でタイヤを打つ練習中で、甲高い気合の奇声が延々と続いて厭になる。拙句「竹刀討つ気合叫ぶ児炎暑宿」夕食は牛肉、鰈の唐揚げ、むつの刺身、レバニラ炒め、ヒジキの煮者、あさりの味噌汁にご飯。
DSC04392.JPG
DSC04394.JPG
DSC04397.JPG

4日目の関山宿から新井宿へ7.1㎞、高田宿へ10.6㎞。2回に分けて軽井沢追分宿から高田宿までの北国街道歩きの距離は、146㎞歩きつないだことになる。

翌8月30日、小雨のためタクシーで高田駅へ。6時59分発で直江津へ、ほくほく線で湯沢、上越線で水上、高崎へ。八高線で高麗川、拝島経由で青梅へ帰った。
☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ



魅惑のスリランカの旅 思い残すこと・・・温泉に出会えなかったこと。

$
0
0

魅惑のスリランカの旅 思い残すこと・・・温泉に出会えなかったこと。
DSC03549.JPG

2016年5月29日~6月04日まで、スリランカへ観光に出かけた。紀元前以来の仏教遺跡の数々に出会い、予想以上の感動を得ることができた。5世紀後半、岩山の頂上に華麗な王宮を建てて住んでいた(王宮としてはわずか11年間)シギリヤロックに登山できた。かつてはライオンの姿でかたどられていたという。1400年の眠りからさめた壁画のシギリヤレディは圧巻だった。イギリス統治下にあった1875年、この岩山を望遠鏡で見つめていたイギリス人探検家が天女の壁画を発見した。
DSC03973.JPG
DSC03595.JPG

ダンブッラの石窟寺院は紀元前1世紀以来の建造物で、第1窟にある約14mの涅槃仏は特筆もの。全身は黄金色に染められているのに、足の裏は真っ赤に染められている。これはスリランカの特徴で、紀元前5世紀にウイジャヤ王がインドからスリランカに彼の手のひらが真っ赤であったことからだという。ブッダがスリランカに5回訪れたという伝説と共に仏陀の影響がそこかしこに色濃く残されていることを実感した。

ところで、私の海外旅行は必ず温泉場を探し、入浴することを目標にしていたが、今回はその取り決めを初めて破ってしまった。中国の黄山のように、温泉があったはずだが、たまたま温泉場が改修中で入浴できなかったことはある。今回、事前に温泉場があることは調べてわかっていた。参考:Hot Springs of Sri Lan Ka/Amaging Lanka.comから情報を得た。インド系のシンハラ語から英語訳らしく、情報が錯綜していて、私なりに他の情報を参考にして紹介する。9つのうち6か所に絞った。

○ゴマランカダワラ温泉Rankihiriya/Ulpotha/Gomarankadawala Hot Spring
トリンコマリーから数キロの所にある温泉。42度の二つの井戸があり、それらはRankihiriya温泉、Ulpotha温泉とも呼ばれている。乾燥地にあり、Ulpotha仏教遺跡に近い。
○カンニャ温泉Kanniya Hot Water Wells at Trincomalee――スリランカ北東部の海岸、トリンコマリーの北西にある仏教遺跡Velgam Vehera修道院の僧侶によって使用される複数の池の一部。ベルガム・ラジャ・マハー・ビハーラの近く。五千年の歴ありとの伝説。ラヴァナ王の時代から利用か? 入浴不可・湯あみのみ。7ヶ所の源泉が並び、熱くても40度。外傷・消化器系に効能。席巻使用禁止だが、地元民は石鹸を使用している。地元民は5ルピー、外国人は50ルピー。露出度が高いためか、女性用水着はダメ。更衣室があり、自分で袋を持参し着替えを入れ、サロンを巻いて水浴び。無味無臭。
○Nelum Wewa Hot springs  ポロンナルワ ジャンクションから27㎞のところにある2009年に公開された新しい温泉。Dimbulagala山脈の麓にある。源泉は61度、スリランカで一番熱い温泉。10月の雨季には貯水池wewaの中に水没する。7つの温泉の内、3つが閉鎖され、4つの井戸はNelum Wewaの砂丘上に2つずつ位置している。この温泉は、乾季には砂丘を徒歩で行くことができるが、貯水池の水位が高いときは地元の漁師の助けがいる。
○Mahaoya Hot Springs マパオヤ温泉
 Mahaoya温泉は、Mahaoyaから約2㎞のところにある温度の異なる7つに井戸がある。もっとも熱い井戸は約56度で、二つの井戸のみ入浴が可能な温度。地元の自治体によって管理され、訪問者にはRs50(ルピー)が駐車料として徴収される。
○Wahawa Hot Springs
 Wahawa温泉は、スリランカ東部州アマパラ地区Padiyatawaの田舎町にある。水田と18の温泉が散在し、そのうちいくつかが掘り抜き井戸を流れ、村人の洗濯やお風呂に利用されている。
○Madunagalaマドゥナガラ温泉――又はMahaperessaスマハペレッサ温泉。
リランカ南部ハンバントータHambantotaniに位置する。周辺に象が生息し、農作物や人間の営みに害を与えていた。過去には、度々乾季の間象の赤ちゃんが温泉の水浴びに来ていた。1980年代にエンビリピティヤ(現在Walawe流域を監督)には温泉の周囲に壁を造り、被害を食い止めた。湯はかなり熱く、源泉でお米を炊くと源泉が防腐剤のような効果がありお米が腐りにくい。レナード・ウルフが行った温泉の化学的分析では、10,000当たり、固体:534、塩素:248、石灰:95、硝酸塩:0、硫酸塩:小と公表されている。
Mahaperessa温泉周辺には、2つの古代岩窟洞庵がある。仏教徒と僧侶たちは、リウマチや皮膚炎から生じる痛みをこの温泉を利用していた。今では、休日には来場者で混雑し、長い時間待たされている。
温度差がある浴槽は大きく施設がとともっている。地元民は30ルピー、外国人は100ルピー。かぶり湯のみ。
これらの紹介された温泉の他に「スリランカ最北端のジャフナ半島の海沿いに治癒力を持つ不思議な泉」として、ケリマライの泉がある。古くから病気を治す不思議な泉として知られている。近くのマヴィダプラム・カンダスミワ寺院Maviddapuram Kanthaswamy Kovilに残る伝説・・・7世紀、伝統的な儀式を軽んじた姫が、馬のような顔になってしまった。ケリマライの泉で湯を浴びると、元の顔に戻った。感謝した姫はこの地に神を祀るヒンドゥ寺院を建てた。水源は寺院の周辺で、流れる過程でミネラルを得て、治癒力を持つといわれている。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ



ブックスタマ「書店発!著書発掘プロジェクト」応募!潮凪道場に通う!

$
0
0

ブックスタマ「書店発!著書発掘プロジェクト」応募!潮凪道場に通う!
DSC04088.JPG
潮凪道場 塾長・エッセイスト 潮凪洋介氏

クラブツーリズムの添乗員を辞め、次は何をするのかを問い、一人出版社「岩田書院」の岩田博氏を何度か訊ねた。その最中に、ブックスタマ「書店発!著書発掘プロジェクト」を知り、これこそ出版社の業務を知るにはいい機会だと思い応募した。
幸い、潮凪道場の潮凪洋介氏から潮凪塾に来ないかとのお誘いを受けた。月に1~2回ならと塾に通うことにした。ひょっとしたら、私にも才能があるかもしれない。との思いもあった。そして8月19日に潮凪洋介氏との打ち合わせに目黒の教室へ伺った。
DSC04085.JPG
東急目黒線洗足駅
DSC04095.JPG
DSC04096.JPG
潮凪道場
DSC04093.JPG
DSC04094.JPG
DSC04089.JPG
クリエーターズハウス教室

 今、28歳から74歳の方々が著者を目指して通っているという。7年前からのオープンで、すでに何人かの著者を輩出しているという。彼の話では、「うちは自費出版ではありませんから、最低6,000部の発行・販売ができる内容の著者本を育てている」と志は高い。
私の応募した内容は、

タイトル:老後をどう楽しく生きるか。体験記!

36年間旅行業に関わり、63歳で辞めた中高年者が、「老後をどう楽しく生きるか?」を体験した記録です。
○国内外の温泉巡りを追求すること。温泉巡りを始めて40年で1405ヶ所、海外温泉は77ヶ所を数えました。その後も機会を作り、楽しんでいます。
○旧街道歩き・・・かつて登山を趣味にしていましたが、足の衰えをきっかけに中止しました。ところがすぐに左手にしびれが出て、頚椎の軟骨の損傷と分かり、首の牽引治療をしています。歩くことを止めたことが原因と知り、旧街道歩き―1999年10月から東海道五十三次150㎞を歩く繋ぐことから始めました。それから、旧中山道、旧青梅街道、日光街道から奥の細道、甲州街道、豊後街道を歩きました。退職後は、スペイン聖地サンティアゴ巡礼800㎞を35日間で歩き通しました。今、北国街道歩きを計画中です。
○家庭の事情で、家出することになり、おんせん県大分県の別府・大分市に4ヶ月半、1か月6~7万円の一人住まいを体験しました。豊後街道歩きで、真っ暗な橋に落ちて、胸椎骨折をして2か月の胸部コルセットでの不自由な独居生活ぶりも紹介します。
○青春きっぷを利用して、家出の時は大分から東京への用事を往復で体験、過去にも九州温泉巡り、家族で琵琶湖や日本海での海水浴と温泉巡り、登山体験を紹介します。
○世界一周に興味を持ち、「ピースボート」で世界一周を夢見る高齢者を取材のため、事務作業やポスター貼りでポイント稼ぎを体験しました。
○クラブツーリズムのフェリーフレンドリースタッフ(FFS)に応募し、テーマのある旅行の添乗員として1年半経験しました。
○地元の老人会俳句倶楽部で月一回の句会に参加し、俳句の学習に力を注ぎ、新聞などの俳壇に入選を目指し投句に励んでいます。
○地元で若者との交流を求めて「行政に口出す探検隊」を起ち上げ、世話人として様々な課題で学習や探検をしています。

以上は現役時代から続けているもの、退職後に始めたものもありますが、「老後の生き方」だけではなく、若者にも是非知っていただきたい、実践していただきたいものでもあります。目標を掲げて、やる気になれば、実現できること、一度には無理でもこつこつやり続けることで実現することをお知らせしたいと思います。

最初の塾は、9月7日(水)17時30分~40分ほどでした。その前に、宿題として「本の企画書」の骨子を書いてくるようにと言われていた。その内容に沿って、出版社を説得できる内容にするためのノウハウを具体的にやり取りすることになった。時々言われた「読者目線で」という言葉が印象的だった。お代を払って買うだけの内容なのかを、いつも問われているんだなと実感した。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


温泉夜話 海外温泉巡浴のパターンのいろいろ・・・。新鮮でドキドキの体験を!

$
0
0

温泉夜話 海外温泉巡浴のパターンのいろいろ・・・。新鮮でドキドキの体験を!
SAVE0001.JPG

海外の温泉に入浴するために知恵を絞ります。最初はパッケージツアーを選ぶ時に、宿泊場所が温泉のあるホテルがあれば一番楽に入浴できます。カナダ、ハワイ島、台湾、韓国で体験しました。2001年1月に行った韓国ツアーで温陽温泉、儒城温泉に宿泊しました。かつて韓国の温泉ホテルは、夜8時には浴場や売店を閉めていましたが、日本の旅行業者の指導で、男女別浴室を完備し、営業時間を延長して日本人観光客誘致に成功したツアーの代表格です。ツアーの自由行動を利用する手もありました。2008年12月に中国、西安・華清池に行った時、華清池の観光後、わずか30分の自由時間で入浴挑戦しました。最高級浴室が一回880元(13,200円)、次が580元、一般浴槽がひとり128元、30元(450円)。一番安い30元の浴槽で入浴してきました。
温泉夜話 スパの起源1.jpg

次いで、宿泊する予定の場所の近くに温泉地があり、路線バスやタクシーで行けるところ。これは相当範囲が広がります。2006年8月の中欧(ハンガリー・オーストリア・チェコ)旅行、ハンガリーのブタペストの宿泊時が該当します。2日目のツアーの出発前にタクシー移動で、6時開場のドナウ川畔に建つ1914~1918年築アールヌーボー様式ゲッレールト温泉へ。3日目の午後の自由行動では、ヨーロッパ最大規模のバロック宮殿建築のセーチェニ温泉へ。大温泉プールなど3つの大プールの他に水着着用の8か所の混浴浴槽、4か所の男女別裸浴槽があります。4日目は5時30分にタクシーでトルコ式温泉ルダッシュ温泉にふんどしを身に着けて入浴しました。

パッケージツアーで出かけて、温泉地が近い宿泊地前後で1~2日離団して温泉巡りをする方法があります。2015年2月にトルコ11日間ツアーに参加しました。ツアー中の温泉のある宿泊ホテルで入浴しましたが、タクシーで5分の所にある市営温泉「クリムズ・ス」に取材入浴してきました。石灰棚で有名なカムッパレ観光で、ギリシア時代の大理石がごろごろ倒れている遺跡露天風呂に自由時間内に入浴してきました。8時30分と時間が早かったせいか、入浴者は私一人貸切状態という感動的な時間でした。7日目に離団し、長距離バスに乗り、バスごとマルマラ湾を渡り、ブルサへ。1552年に建てられたイエニ・カプルジャ(新温泉)、14世紀に建てられたエスキ・カプルジャ(旧温泉)に入浴を果たしてきました。マレーシア、台湾でも経験しました。

温泉巡り目的の個人旅行で出かける方法もあります。台湾や韓国は何度も経験しました。2004年にタイ・チェンマイの温泉に行きました。事前にメールで車付きガイドをしていただける人を求めました。幸い、チェンマイで在住の日本人対象に地元紙を発行している日本人男性が応じてくれました。地元紙でたまたまチェンマイ近郊の温泉情報を取材していた方で、2日間で7か所の温泉取材と入浴ができました。1996年12月にロンドン・パリのスケルトンツアーに参加したこともあります。往復のエアーとホテルのみで8万円でした。ロンドン郊外のバースの温泉博物館に行き、あわよくば監視人の目を盗んで入浴しようとズボンの下に水着を着ていきましたが、飲泉のみ実現しました。パリ郊外のヴィシーへも列車移動で行きました。2012年4月に韓国・釜山郊外温泉巡りでは、空港から釜山への移動で、たまたま白タク運転手と出会い交渉し、1日2日貸切タクシー3万円で取材に行きました。東萊(トンネ)、釜谷(ブコク)、馬金山(マグサオン)、霊山(レサン)温泉入浴を果たしました。2011年9月には旧満州(東北部)の湯崗山、熊岳城温泉等に入浴し、湯崗山温泉では、ラストエンペラー溥儀が入浴したという龍宮温泉の浴槽「龍池」に入浴することもできました。

私の次女がオーストラリアのゴールドコーストに住んでいて、孫に毎年会いに行きます。その際、温泉巡りにゴールドコーストから、年によりメルボルンやニュージーランド、フィジーへ移動して温泉巡りの取材・入浴もしてきました。あらゆる海外旅行の機会を利用して、温泉巡りをしてきました。英語もろくに話せないのに、「温泉」にこだわり、現地の人々との交流もし、新鮮でドキドキの体験を数多くしてきました。是非皆さんもご自分の趣味に応じた「こだわり」を持って海外旅行を楽しんでいただきたいと思います。
豪州の温泉巡浴に挑戦!2013.4.26~5.9.jpg
ペニンシュラ・ホットスパ 頂上露天風呂.jpg
メルボルン・ペニンシュラ温泉

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

前進座公演「切られお富」(三多摩演劇を観る会主催)を観る! 2016年10月4日 

$
0
0

前進座公演「切られお富」(三多摩演劇を観る会主催)を観る! 2016年10月4日 
DSC04477.JPG

10月4日、たましんRISURUホールで前進座公演の「切られお富」を鑑賞した。妻と同時期に三多摩演劇を観る会に入会し、もう2年になる。今回は21運営サークルの当番で、7月頃から運営会議に出、作業日にはチラシ折り、座席割り、機関誌織り込みなどの作業を担当してきた。妻が出席し、申し訳ないが私はいつも欠席。当日は、2時間前に集合し当日の案内の準備にかかる。
さて、前進座は今年85年を迎える。1931年(昭和6年)5月22日、河原崎長十郎や中村翫右エ門らによって、歌舞伎の前近代的な運営と決別し、演劇の運動体として結成された。私は伝統的な歌舞伎は一度しか見たことがなく、説明書を見ながらでもセリフが理解できずに楽しく見るという状態ではなかった。役者の河原崎国太郎や嵐芳三郎の名は知っていた。春日八郎のヒット曲「お富さん」も知っていた。滅多切りされるのは「与三郎」ではなく、「お富さん」だという。さて、どのような演劇なのだろうか?と向かう。

スタッフが集まり、自己紹介・役割・持ち場の確認がされ、舞台へ移動して、「役者との顔合わせ」があった。事前に知っていたら、写真を撮ったのに許可を得ていないので断念!演劇を観る会ならではのワンシーンだ。そういえば、当番の時の終演後の「ロビー交流会」はこれまで聞いていた。俳優さんとの交流会で、演じる側の感想や会員からの質問に答えるという意見交換の場だ。開演40分前から、私は笑顔で迎える担当。開演10分前に最前列の席に着く。運営スタッフの最前列席は、俳優さんを守る防衛の意味もあるのだろう。幕が変わると暗闇の中、舞台移動なのか大勢の急ぎ足で作業する音がする。後ろの席では考えられない緊迫感を肌で感じる。
最前列なので、役者の顔の表情や声の調子も良く解る。古典的な歌舞伎らしさは、見得を切る、花道での大げさな動作に残っているようだが、(素人なのでよくわからないが)概してセリフや動作が分かり良かったと思う。掛け声も良く出ていた。8月にゲネプロ(って何?)見学が13名で会ったようで、ここで「國太郎!(山崎屋)」「芳三郎!(豊島屋・てしまや)」と掛け声のかけ方を練習した成果なのだろう。

運営サークルが例会で、自分たちが観たい作品を集計し、積み上げられて年間の上演計画を立てる。年6回の上演を支える損益分岐点は、会員800名だ。ですから、「仲間を増やそう!」が合言葉で、そのためには「退会者を出さない」日常的にみんなが楽しく参加できる運営が求められる。運営サークル例会で感想を出し合う、感想文集作り、機関誌編集、運営サークル通信などの作業、当日の運営など積極的にやればやるほど、演劇好きには奥が深いと思われるのでは?以下の言葉が身に染みる。広報誌は会員の団結の絆!「会員であることが、この会と劇団を支え、地域の文化の向上に貢献しているのです。サークルで支え合って観続けていきましょう」

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

書道家シンガー 友近890(やっくん)青梅の施設でライブ! 2016年10月7日

$
0
0
書道家シンガー 友近890(やっくん)青梅の施設でライブ! 2016年10月7日
DSC04532.JPG
書道家シンガー 友近890(やっくん)心から響へ

10月7日(金)午前、青梅市のディサービスセンター まごころハウス(真心会:島田靖成社長)と午後、特養ホーム やすらぎの家で、書道家シンガー 友近890(やっくん)青梅の施設でライブが行われた。友近89(やっくん)は、東日本大震災後、被災者に“笑顔”と“元気”を届けようと宮城県の気仙沼や福島県で被災者ライブをしていた。青梅市のやすらぎの家に勤める介護士相馬健一氏がボランティア団体・和楽倶楽部で福島の施設支援活動で友近やっくんと出会い、東京で施設ライブをするなら、青梅で・・・とあいなった。
友近やっくんは、29歳の時にIT関係のサラリーマンを辞し、音楽の道へ転身。朝路上ライブで日本一周を2010年に達成。現在は日本一周を5周、地球3周分を軽自動車で年3万㎞を走破し書道シンガーとして日本中に“笑顔”と“元気”を届け回った。
DSC04481.JPG
青梅市のディサービスセンター まごころハウス
DSC04483.JPG

真心会の島田靖成氏とは私も相馬氏とも親しい友人で、同日の午前午後2回の施設ライブとなった。河辺駅から徒歩5分の所にあるディサービスセンター まごころハウスで午前10時前から、日二十数名の日帰り介護の人たちがスタッフの方々に支えられて椅子に座り、スタンバイ。すでに多摩ケーブルネットワークと西多摩新聞社の取材が来ていた。ギターを抱えた友近やっくんは、リハーサルで何曲かを弾き語り。その間、友近やっくんを歓迎するためにスタッフが作った扇を受け取って応援の準備。
DSC04495.JPG

10時、大きな拍手でライブスタート!お年寄りがよく知っている「青い山脈」「リンゴの唄」「上を向いてあるこう」から、参加者も声を出す。愛媛県今治出身の友近やっくんが、18歳の時、お母さんを亡くしたことから作詞した「天国にいる母へ捧げる歌 生きていく」や「こころの中に響けこの歌」を弾き語りで、絶唱!ついほろったさせる。
DSC04503.JPG
DSC04512.JPG
DSC04521.JPG
DSC04532.JPG

歌の他に友近やっくんと参加者とのイベント「じゃんけん大会」勝ち抜いた一人に賞品として友近やっくんの書「絆」が書かれた扇子が贈られる。最後にいよいよ歌いながら書を書くパフォーマンスだ。彼の書家名・友近燧山(すいざん)を持つほどの腕前。彼の実家は三代続く書道塾経営で小さいころから学んだという。激しいパフォーマンスで歌いながら「響」を書き上げた。やんやの喝采である。
DSC04514.JPG
DSC04513.JPG

午後2時、場所を変えて、青梅のツツジの名所で重文を持つ古刹・塩船観音の近くにある特養ホーム やすらぎの家へ。
DSC04539.JPG
塩船観音
DSC04570.JPG
やすらぎの家

 こちらではすでに車椅子に座ったお年寄り80数名と役員や近所の方が参加。司会役は今回のイベントの仕掛け役の介護士相馬健一氏。友近やっくんは午前の部と同じように元気なパフォーマンスで魅了する。「2011年の東日本大震災の時、親しい友人が被災し、そこで被災地のために何かできないかと気仙沼へ」と語る。友近やっくんの銘は、「人事尽くして天命を待つ」で、出向いて、1000万人に夢を届けることが目標。その結果、紅白にも出られるようになりたい!と言う。
この会場でのパフォーマンス書道の書は「夢」。力強いパフォーマンスでここでも参加者に大きな感動と笑顔を届けられた。
DSC04541.JPG
DSC04542.JPG
DSC04552.JPG

 ここで青梅のゆるキャラ「おーちゃん」が登場。可愛らしいマスクに大きな体、職員の方に案内されて、よちよち歩きで笑顔を?ふりまいていました。写真撮影にも応じて、皆さんの笑顔満開です。終了後、彼のCDアルバムなどの販売に参加者が立ち寄りサイン入りで求めていた。書道の腕前は、各種の書道展に入選し、2013年芸術家年鑑に登録され、書道評価額69万円という驚きの額だ!彼が後に有名になればなるほど価値が上がるよという声も・・・。一人で「絆」の書入り、サイン入りの扇子を4本購入した方もいた。施設ライブに来てくれ、施設のお年寄りに“笑顔”と“元気”を届けてくれてありがとう。
DSC04546.JPG
DSC04548.JPG
DSC04558.JPG
DSC04564.JPG
DSC04568.JPG

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ

演劇「静かな海へ」ミュージカル「HOSPITAL HOSPITAL」の同日鑑賞! 2016.10.15

$
0
0

演劇「静かな海へ」ミュージカル「HOSPITAL HOSPITAL」の同日鑑賞! 2016.10.15
DSC04654.JPG
演劇「静かな海へ」ポスター

私は、全国紙4紙の「プレゼントコーナー」で紹介されている演劇やクラシックコンサート、ミュージカルなどによくはがきで応募している。新聞での応募し抽選でたまたま同日で鑑賞することになった。10月15日、午後2時から、演劇「静かな海へ」、午後6時30分からミュージカル「HOSPITAL HOSPITAL」

トム・プロジェクト プロデュース演劇「静かな海へ MINAMATA(出演:永島敏行・斉藤とも子・朝倉伸二・藤澤志帆・カゴシマジロー)」は、紀伊国屋ホールで公演された。水俣湾のチッソ水俣工場からの排水により、水俣病発祥の経過をたどり、当時チッソ附属病院長だった細川一氏(演劇では、星川一)をモデルにしたノンフィクション。
DSC04658.JPG
DSC04661.JPG
紀伊国屋ホール

昭和28年、水俣湾漁村にネコが走り回って死亡する「ネコ踊り病」が発生。昭和29年茂道漁村では、ネコ100匹がほとんど死亡し、鼠が異常発生しマスコミが騒ぎだす。昭和30年には二人の若者が手足のしびれで来院、「原因不明の多発神経炎」と診断される。昭和31年、チッソ附属病院に5・2歳の少女が入院し、5月1日に水俣市保健所へ報告され、「水俣病の公式発見」となる。昭和31年9月に細川院長は退職するまで原因究明の研究。昭和32年、熊本大学医学部でネコ8匹に魚介類の餌を与えて、33~65日ですべて発症すること確認、「魚介類が水俣病発症の原因である」と証明。
チッソ工場側とチッソ附属病院星川医師の良心の葛藤、退職後には裁判の被害者側の証人として立つことになる。チッソ工業の排水が水俣病の原因と知りながら、排水を続けていたことを証明できる唯一の証人だった。星川はすでに末期肺がんに侵され、臨床証言をすることに。星川の贖罪と家族間の葛藤・・・。水俣病は、まだ終わっていない、公害問題への改めて警鐘を乱打したいと私も思う。以下に工場、自治体、国の各省庁と研究者の関係を垣間見る場面をある研究者のコラムを発見したので、紹介したい。

「厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会代表をしていた鰐淵健之熊本大学前学長が、昭和34年11月11日水俣公害問題を扱った各省連絡会議ということで総務庁の主催。熊本大学側が研究成果を総合的に説明し、工場廃水による有機水銀中毒が考えられると説明した。そうすると通産省の軽金属工業局長で化学産業担当が、『この種の化学工場は内外でたくさん実在している。チッソが元凶であれば、現在までに同じような病気が出ているはずである。有機水銀中毒というが、工業過程では無機水銀は触媒として使っている。この無機がどのようにして有機化するか、その過程は明らかでない。従ってその説明は納得できない』等々まくし立てた。黙って聞いておられた鰐淵先生は突如立ち上がり、『研究陣は長い間、苦心惨憺してこの現実を実証した。それを何一つ手伝うこともせずして頭から否定するとは何事か』と怒髪天を衝いて目の前にあった灰皿を投げつけ、席を蹴って退席された。びっくり仰天した私は、先生の荷物と私の書類をまとめて急いで先生の後を追って退室した。」
17時、新宿駅で駒込での定期の「自彊術研修」に行っていた妻と合流し、JR品川駅へ向かう。ミュージカル「HOSPITAL HOSPITAL」上演は、京浜急行線新馬場駅近くにある六行会ホール。新馬場駅そばで、早めの夕食をとる。18時30分からの上演なので、時間調整にホールに隣接する品川区立図書館で新聞を読む。

DSC04668.JPG
DSC04662.JPG
六行会ホール入り口
DSC04664.JPG

ザ・ライフ・カンパニイによるミュージカル「HOSPITAL HOSPITAL」(出演:白川和子・たにむら玲子・宇部洋之・近藤大介ほか)は、副題に「医者を治す病人たちの物語」とあるように、4人の病室に底抜けに明るい末期がんで入院してきたことで、同室の人たちも感化されていくというコメディミュージカルだ。常識と言われていたことを次々に変えていく。お腹がすけばおやつをとる、真夜中のパーティーの乾杯、ファッションショーをする。この病室での規則破りや不思議に好転していく病状に納得できない医者が胃がんで同室に入院することに・・・。底抜けに明るい患者が診察の医者に「私の目を見て話して!」「心の痛みを解ってほしい!」
同時に病院の夜勤や厳しい勤務状況も描かれ、労働組合で看護師を増やせ!と待遇改善のストライキを打とうとするが、患者側の反発を受ける場面も出て来る。
「病は人を耕す!」という言葉に感動し、ペンをとってメモ書きをしてきた。笑いの力は、奇跡を起こす!楽天的で前向きに生きることが奇跡を起こす可能性が高くなすることは、実感するところである。住みにくい今の世、言いたいことは言い、笑い飛ばす生き方を多くの方に知ってほしい。
DSC04667.JPG
ところで、会場は山手通りと第1京浜の交差するところで、東海道五十三次の品川の宿が近い。すぐそばには天然温泉銭湯「天神の湯」もある。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


草津温泉でのミニ湯治体験の準備をする!   2016.10.21

$
0
0
草津温泉でのミニ湯治体験の準備をする!   2016.10.21
草津温泉1.jpg
金森 達 画

友人が退職したのをきっかけに、草津温泉で3泊4日の湯治に行くという。彼とはかつて温泉巡りの一環で、草津温泉の近くにある沢渡温泉に宿泊したことがあった。沢渡温泉は、草津での湯治の後に「仕上げの湯」として呼ばれ、肌に優しい湯で知られていた。高天井の混浴風呂と透明の湯で肌が白く見えるたのが印象的で、トイレ付きの湯治用個室部屋ができたばかりの時期だった。http://www.sawatari-onsen.sakura.ne.jp/ 
その時を思い出したのか、相談を受けて、いろいろな情報を伝えたら、後に10月31日からの3泊で草津温泉の「ワンディ美津木」に決めたという。車で行くというので、「私も便乗していいかな?」となった。
実は「ワンディ美津木」は、2002年頃にアスパサービス(有)のホームページを立ち上げた時、湯治・療養温泉の情報を始めた時に取り上げ、紹介した療養温泉旅館の一つに「美津木旅館」が含まれていた。ですから、私にとっての因縁の宿なのです。

そう言えば、これまで湯治や療養温泉の紹介をして、「療養温泉突撃取材」などの取材はしたが、湯治の体験はしたことがなかった。2014年の11月から家庭の事情で、ウインドウズ8搭載のデスクトップパソコンを詰め込んだトランクを抱えて、大分県の別府市に家出して、結局大分市内に温泉のあるアパートに居をえて、別府や大分市内の温泉三昧4か月半の生活が、湯治のようなものだったのかも知れない。
自分自身が湯治体験することで、取材とはまた異なる新たな可能性が開けると思うと何かわくわくする。

草津温泉での湯治体験でやりたいことを羅列してみる。
○4日間の草津温泉ミニ湯治を楽しんで体験する。
○草津名物の湯もみ体験し、48度の熱湯で「時間湯」で入浴してみる。
○草津郵便局を訪ね、「温泉切手の発行について」の取材を試みる。
○草津町温泉資料館の取材をする。
○毎日夜8時からの「温泉落語」を聞く。
○草津に至る江戸時代の街道を歩く。

昭和5年発行の「日本温泉案内 東部篇」を読み、当時の草津温泉の様子を知る。私が過去に宿泊したことのある大東館、奈良屋、一井、望雲館はすでに営業していた。27年前の火事で焼失した七星館やホテル高松、ナウリゾートホテル、ホテル桜井は存在してなかった。当時、70余の旅館が営業していた。
草津の湯もみの仕方を詳しく伝えている。町内に時間湯と称して、熱の湯、白旗の湯、松の湯、わしの湯、千代の湯、地蔵の湯共同湯がある。これは毎日、3回、時間を定めて入浴するので、い一々湯長と称する指揮者があって、ほとんど軍隊式の命令の下に揃って入浴するのである。・・・入浴者は湯長の指揮の下に、各自に長い板を持って湯を攪拌する操作が始まる。湯もみ唄に合わせて、暢気に湯を揉むと、各自頭を浴槽の上へ突き出して、柄杓で湯を被る事数十杯、湯長は時分よしと見ると、「さあ宜しく徐ろそろ下りませう」と号令を下すと、一同柄杓を捨てて、縁から静々と浴槽の中へ沈むのだ。もし江戸児がって一気に飛び込みでもしたら大変、何しろ源泉六十度、湯揉みによって冷めたりと雖も熱湯である。忽ち飛び上がって瞑眩してしまう、第一湯を動かされたら、他の者も入っていられない、それだから極めて徐々に、辛うじて首根っこまで浸かっていく、この間浴槽は闃(げき)として音が無い。入ったところで、湯長が「揃って三分」とだみ声で号令をかける。すると一同が「オーイ」と威勢よく応じる。やがて一分過ぎると、「改正二分、じっくりご辛抱」と湯長は又声をかける。又「オーイ」と一同これに応じるが、一種悲壮な音調を帯びている。長い長い一分は辛うじて過ぎる。「限って一分、辛抱のしどころ」と湯長は又声をかける。「オーイ」と応じる答えは悲鳴とも聞き成され、凄惨な気が浴場に充ち渡る。三分は漸くできた。「宜しくば上がりませう」湯長の許しの声は、轍鮒(てっぷ)が水の喜びである。一同は脱兎の勢いをもって、飛び上がるのである。こうして此の熱泉に入ると、身に余るほどの毒は、ことごとく噴き出してしまうのだ。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

旅の知識・楽しみ方 ブログランキングへ


Viewing all 522 articles
Browse latest View live